普段はお役立ち情報だったり、自分がドイツで経験したことを書いていますが
今回はそろばんに関して考えたことを書いてみたいと思います。
結論を先に書くと、そろばんはあくまで手段なのに、習うこと(教えること)自体が目的になってしまっている。「なぜそろばんを習う必要があるのか?」の答えになる目的の部分を考えることに注力を向けるべきだ。とわたしは思います。
雑記なので、もし興味ある方はどうぞ。
・自分のこどもにそろばんを習わせているor習わせたい人
何でそろばん習う必要があるの?
わたしはいわゆるゆとり世代と言われる世代で、小学生の頃はそろばんが下火だった時代。
わたしの知る限りそろばんを習っている友達は1人もいなかったし、でも小学校の授業で少し触った程度。
それがまた最近人気に火がついてきて、計算力はもちろん右脳発達(イメージや創造力を司る)だったり集中力アップに役に立つと言われていたり
あとはSTEAM教育が重要だー!って教育関係の習い事やメディアがこぞってプッシュしているのも1つの要因かもしれません。
ただ、現実問題そろばんって将来役に立つのか?
って言われると、正直答えに困ることがあります・・・
元々商売をしている人が仕事で使っていたそろばんですが、現代社会で使っている人なんてもちろんいないし
計算自体もいまは電卓だってあるし、そもそもコンピューターがあれば計算自体する機会なんて滅多にない。
こんな状況で子どもに「なんでそろばん習わないといけないの?」って聞かれたら、みなさん何て答えますか?
もちろん「楽しいから」とか「好きだから」っていう理由も良いと思いますし
わたし自身そろばんを教える立場にいて、1つの答えがあるとすれば
「自分は計算が得意だ!」っていう自信が算数が好き、とか数学が好きっていう所に繋がってくるんじゃないかなと思います。
でもそろばんを習ったその先って考えたことありますか?
勉強は目的なのか?手段なのか?
ちょうど先日こちらの動画を見ていて、すごく共感する部分が大きかったのでシェアします。
この動画で出てきた1つの質問。
やっぱり勉強ってしないといけないんですか?
これ人間1度は考えたことがあるんじゃないでしょうか?
人類永遠の疑問かもしれませんがこれについて、皆さんならどう答えますか?
こちらに関して、N高の副校長である吉村さんがものすごく良い事を言っていました。
(動画の11:21頃からです!)
なりたい自分や、やりたい事を達成するために必要なら勉強するべき。そうでないならしなくても良い勉強もある。
勉強はあくまで手段なので、まずは目的をしっかり明確にするべきである。
もっと色々と話していらっしゃったので、ぜひ動画を見て頂きたいのですが
わたしは「勉強はあくまで手段」という部分に超同感でした。
学びって2種類あって
1つはそのことに興味があり、純粋に知りたいから進める学習。
他の人からすると嫌な勉強だけど、当の本人からすると好きだからもっと知りたいって思っているもの。
2つめは自分の目的に到達するために必要な学習。
面倒だけど学ばなければいけない、必要性のあるもの。
極端なことを言うとこれ以外(図の円の外)に関しては、勉強する必要がないのかもしれません。
逆にこの2つに関する勉強に関してはどんどん時間を投下するべき。
この動画でも吉村さんが言っていましたが、今までのような全ての教科をまんべんなくできるジェネラリストより、何か1つのことに超特化した、尖った人材の方がこれからの時代には需要があるとのこと。
本当に興味のある分野があるのであれば、優先順位をつけることも大事です。
なぜなら時間は有限だから。
ここで「なりたい自分や、達成したいこと、好きなことがわからない人はどうしたら良いの?」っていう質問が出てくるかもしれませんが、
闇雲に必要かどうかわからないことを学ぶ時間があるなら、自分の好きなことを見つけるために社会に出て色々なことを経験し
そして色んな人と話した方がよっぽど重要で優先順位が高いと思います。
つまり、好きなことが既にある人は振り切って自分の時間を投下しても良いし
ない人はそれを探す時間に時間や労力をもっと投下すること、
それが2030年に向けた学び方なんじゃないかなって思います。
ここで話をそろばんに戻すと、今回の話を聞いていてそろばんは勉強と等しく目的ではなく手段にすぎないのではないかと気が付きました。
純粋に数字が好きで、そろばんが楽しくってという人はどんどん深掘りしていけば良い。
もしくは、自分の目的を達成するために計算力やそろばんが必要という人は習うのは良いけど
あまり意味もわからず、「何となく将来使えそうだから・・・」っていう理由で習うのはどうなんでしょうか。
残念ながら教える側も「そろばん」自体が気がつくと目的になっていて
「何のためにそろばんを習うの?」っていう根本の目的の部分が抜け落ちている。
目的がないなら、考えて提示するしかない
先日、友人で英語のコーチングをしている人と話しをしました。
(英語を教えるわけではなく、学習プランを考え進捗確認やモチベーション維持をする人)
彼女との会話で気がついたのは、「そろばんにはわかりやすい目的がない」ということ。
例えば
「英語を学べば海外の人とコミュニケーション取ることができる」とか
「英語を学べば海外の学校に行ったり、将来仕事をすることができる」とか
人気の習い事、英語だってただの手段ですが、その先の目的がしっかりしている。
(もちろん言語として興味を持って英語を研究する人もいますが)
でもそろばんってその「目的」言い換えると「動機づけ」が難しい習い事だなと思います。
実際にわたしがそろばんを教えている生徒の中でも、数字が大好きで学習欲求の強い子もいます。
割合で言うと良くてもおそらく3割とかくらいですが・・・
それ以外は、楽しいからそろばんを習っている子もいれば
明らか親御さんに言われて無理矢理習っているという子も一部います。
どんな子に対しても「なぜそろばんを習うと良いのか?」を伝えることも教える立場の人間には必要なんではないでしょうか。
それでも正直なところ、わたし自身も将来必ずそろばんが必要になるとは思っていないので(笑)
無理矢理伝えたところで、伝わらない上に嘘っぽく聞こえてしまうかもしれません。
ゆえに、教える立場の人間はそろばんが必要になる状況を作ってあげる、もしくは目的を一緒に考えることに注力を向けることが必要なんじゃないでしょうか。
実生活でそろばん(計算力)が必要になる状況をわたしも考えてみましたが
・お小遣い帳をつけてみる
・お買い物にいく
・自分で何か小さい商売をはじめてみる
考えればもっとたくさん出てくるかもしれません。
目的がなければ考えれば良い。
考え続けて、提示することが大人ができることなんじゃないでしょうか。
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