わたしが教育に興味を持った3つの出来事を紹介するよ

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ユキグチ
ユキグチ
ドイツでそろばんの先生をしているユキグチです!ちょうど記事100本目を記念して、今回はわたしが教育に興味を持った理由をご紹介します。

なんとこのブログをはじめて約3年(最初の1年はほぼ手付かずだった)、気がつけば前回の記事で100本を越えていました!
基本的にはドイツでの生活のことや、教育関係のことを書いているわたしですが
今回は改めてわたし自身のこと。
それもなぜ教育に興味を持ったのか、その理由をご紹介しようと思います。

本当に個人的な話なので、あまりタメになる知識等はないですが・・・
もし興味あればぜひ読んでやってください。

学生の頃は教育に興味があるなんて思ってもみなかった

大学で経済と会計学を学んでいた当時のわたしは、それまで学校の先生になりたいなんて思ったこともなかったし
教育に興味なんて正直全くありませんでした。

大学卒業後にとあるITベンチャーでかつメインでは留学を取り扱っている企業に就職しました。
それも「留学関係なら、わたしも仕事でオーストラリアに行くチャンスありそう」という何とも不純な理由。
(大学時代に1年間オーストラリアに留学していたのが大きかった)

しかし、残念ながらその願い叶わずフィリピン留学の担当でした(笑)
学生の時からインターンも含めると、その企業に約5年間。

オーストラリアにこそ行けなかったものの、留学したい人のサポートや、英語教材の営業、企業向けの英語研修の提供、フィリピン現地オフィスの立ち上げ〜駐在まで
本当に幅広い業務を担当させてもらいました。

この5年間の経験がいまの私に大きく影響しています。

中高校生と触れることで次第に教育に興味を持ちはじめる・・・

ある時から、社内で日本の中高校生の海外研修を担当することになりました。
具体的には、プログラムの立案からコーディーネート、実際に留学中の現地サポートまで業務は多岐に渡りました。
ビザ申請のためにフィリピン大使館を汗だくになりながら何往復もしたり、
現地でも睡眠時間2時間の中、空港にお迎えに行ったりなかなかハードなものでしたが今考えても本当に充実していたなと思います。

何より一番おもしろかったのは
海外にすら出たことのない、中高校生がフィリピンという日本とはかなり生活水準の低い国に数週間籠もり、英語を勉強しながら、現地の生活や貧困問題に向き合う・・・

最初は「フィリピンあつい、汚いし、虫も出るし・・・」「英語ばっかり勉強いやだ!」とか文句垂れてた子ども達も
帰る頃には「また来たい!」「もっと英語話せるようになってフィリピン人の先生と話したい!」って言っている姿を見ると

「この仕事やってて良かったな〜」って思うことは何度もありました。

しかしその一方で、その中高校生のためにわたしが関わることのできるのは数週間。
次第に

ユキグチ
ユキグチ
今の立場ではほんの数週間しか関わることができない。もっと長い期間で関わって成長する姿を見てみたい・・・

と、もはや親目線(笑)
この経験が1番わたしが教育に興味を持つキッカケでした。

さらに、ちょうどモンテッソーリ教育北欧の教育がすごい!と除々に聞くことが多く
もっと海外の色んな教育制度を知ってみたい、となんとなく考えていたのもこの時期です。

一方で日本の教育の悪いイメージも見えてきた・・・

たった2週間で新たな発見や、将来の選択肢が増えた中高校生を見る一方で、
中国人や韓国人などの周りの留学生と比べると日本人の生徒は
おとなしい(良い意味でも悪い意味でも)、意見を出さない(英語力関係なく)等々どうしてもマイナスの面もたくさん目に付きました。

現にわたしが大学生の頃にオーストラリアに留学行ったときも
クラスメートのヨーロッパ人や南米など他の国籍の人に圧されてなかなか発言できず
悔しい思いをしたのを思い出しました。

ユキグチ
ユキグチ
日本の教育ってこのままで良いのかな?

元々別に教育に興味はなかったんですが、どうしても違和感を感じはじめました。
それは今でも自分の中での課題でもあるし、今後解決すべきところだと捉えています。

さらに、首都圏をはじめとする中学や高校に営業に行く上で
業務過多で辞めてしまう先生や、明らか非効率な職場環境で苦しむ先生達もたくさん見てきました。

世の中は働き方改革とか言っているのに、明らか学校の先生達の働き方はガラパゴス化して
むしろ世の流れに逆行していると感じることも多かったです。

フィリピンの貧困問題に直面した教育格差

少し話は変わりますが2015年から約1年半フィリピンの現地オフィスを担当していました。

フィリピンで2年ほど住んでいた頃は、どうしても貧困問題を考えざるを得ない環境にありました。
道端で生活する子ども達、行き場をなくして墓場に住んでそこから学校に通う女の子・・・
毎日嫌でも目に入ってきます。

生まれてこの方、生きることにとくに苦労してこなかったし、疑問にすら思わなかった自分と
生まれた環境のせいで才能があってもチャンスに恵まれない同世代のフィリピン人達と話すことで

どうしたら貧困問題は解決できるんだろう」という正義感もありつつ

イチ外国人のわたしが、フィリピンの貧困問題を解決したいなんておこがましいんじゃないか、偽善なんじゃないか

そんな相反する気持ちがぐるぐる私の中を取り巻いていました。
その結論を出すまでもなく、わたしは日本に帰国したのですが
1つだけ気がついたことがあります。

「貧困も戦争も環境問題も、色々な問題の根源はすべて教育にあるのではないか」

そう考えるようになりました。
こちらの記事でサッカー元日本代表の本田圭佑さんも似たような考えを持っていて
「経済格差が教育格差を産む。」そう仰っていました。

わたしはその逆なんじゃないかと思っていて、教育格差が経済格差を産んでいるんじゃないかなと思っています。

この話は少し長くなりそうなので、ここでは深掘りしませんが・・・
すべての人類が平等に高水準な教育を受けることができれば、貧困問題や戦争のような悲しい事件や出来事は減らすことができるのではないかと考えています。

あまりに壮大すぎる課題なので、残念ながらわたし1人の力では解決できる問題ではないですが(笑)
教育関係に進むことで、少しでも一端を担うことができるんじゃないかな〜って考えています。

そして私は色んな教育を見るためにドイツに来た

本当にエキサイティングな経験と素敵な同僚やお客さんに支えられた5年間だったんですが
次の一歩のために退職することを決意。
まったく何もできない学生だったわたしを拾ってくれた会社には今でも感謝しています。

場所をドイツに変えて、ヨーロッパの教育事情を学びながら自分でも教育の仕事を第一線で経験してみようと2018年に来ました。
(実は周りの人にはドイツで大学に行くって言いまくっていたのはここだけの話)

そこで見つけた仕事がそろばんの先生(笑)
そろばん未経験だったんですが、自分でもできそうっていう事と、受験や学校教育とはまた違った教育ということで
求人を見つけて速攻応募しました。

詳しくはこちら

【そろばん奮闘記1】私がドイツでそろばんの先生になった理由

なぜドイツにしたのか?という理由は次の記事で書きますが2年経ったいまもまだドイツを拠点に活動しています。
まだまだ自分の理想とはほど遠いですが、この記事に書いたような原点を忘れずに一歩一歩がんばっていこうかなと思います。

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